どうやってお茶をつくるのかと尋ねられるけれど、
“円を描く”のです、としかいいようがない。
たとえるならばヨガに少し似ている、
ポーズは、自分の中の照準みたいなものを合わせていく作業だから。
ただただ内に向かって、追い求めてゆく作業。
お茶も同じ、
よもぎと向き合う、呼応し合うように焙煎する、ごくごく少しずつ、
選別し、和える、
湯を注ぐ、その瞬間昇り立つ香りから、順繰りにやってくる様々なる味わい、舌触り、滑らかさ、甘み、色、
これらがひとつの点から始まって、わたしのなかでぐるり円を描いていく。
まるで、今宵のうつくしい満月のような、そんな円を。
口に含んだときに感じる欠け、余剰なふくらみあれば、まぁるくまるく、一筆書きのように滑らかでおおらかな円になるまで、
焙煎、選別、調合を繰り返し、わたしのなかでぐるうりと円を描いていく。
調合は毎回違う、よもぎの表情にあわせてゆくから。
なんども満月を描きたくなるような、そんな月に出逢うことはそうそうない。
ただ和えるだけでお茶はつくれるけれども、
満月にはならない、
だから- suu -は寡作、たくさんの種類はない、
でも出逢ったらそれは運命、
だから作り続ける。
なぜお茶をつくるのかとも尋ねられる、
それは、
それは、呼応するため。
あなたのなかの宇宙と呼応する、そんな満月を描くため。