
(〈前編〉の続き)
春の風に背中を押されて
小さな決意が、動き出しました。
後半では、‐ suu ‐のこれからについて。
そしてその前に少し、
わたしのこれまでをお話しさせてください。
目次:
I. 生立ち
II. 糸島へ
III. 植物に出逢う
IV. 予想外のギフト
V. その先に
VI. 次なる願い
I. 生立ち
私は1986年、東京生まれ。
多摩川や等々力渓谷にほど近い
緑豊かなエリアの出身です。
東京といえど、小さい頃から
自然好きの祖父に連れられて
野生の桑やビワの実を食べたり、
ふきのとうやツクシを採ったり、
椎の実をおやつにしたり...
そんな幼少期を過ごしました。
(東京にも桑の実いっぱいあるんですよ)
祖父は庭いじりも好きだったので
お庭はいつも、季節の果実や花々でいっぱい!
梅、フィジョア、柿、さくらんぼ、姫林檎
ブルーベリー、甘夏、無花果、柚子など...
庭の色とりどりの植物たちが
いつも季節を教えてくれました。
(在りし日のお庭)
植物に囲まれていただけではなく
たくさんの動物とも過ごした幼少期。
自然な流れで
獣医を志したのは、小学校低学年。
単に動物が好きだからだけではなく
生命体の仕組みだったり、
病気になる原理であったり、
治っていくプロセスであったり、
そういう自然の理(ことわり)に
興味が尽きなかったのです。
その気持ちは大人になっても変わらず
わたしは夢を叶えて
動物のお医者さんになりましたが
新卒で入社した先は
超がつくほどの激務病院。
入社1年も経たないうちに、同期は全員辞め
私も数年で限界を迎えて
臨床医の道を離れることになります。
何年も猛勉強して
夢を叶えたはずなのに
沼の中を泳いでいるような苦しい日々...。
そんな毎日の中
助けを求めるように
わたしは1度目の結婚をします。
そしてその流れで
大学院に進むべく渡米するのですが
気付けばなぜか
ITの道に進むことになりました。
渡米後、1年ほど過ごした場所は
起業ブーム真っ只中だった
サンフランシスコ。
街全体が熱気に包まれていたその時代、
世界中から集まる人々の
多様な生き方に触れた私は
私も、自分の心に従って生きてみたいー
そう強く願うようになりました。
そうして、帰国と同時に東京を離れ、
ビビッときた糸島に移住します。
今から11年前の話です。
II. 糸島へ
こうしてわたしは
縁もゆかりもなかった糸島に辿り着きます。
(初めて糸島に来た時の一枚。今より随分と静かな時代でした)
念願の移住生活が始まるかと思いきや
そこでまさかの離婚を経験。
生活の基盤が崩れてしまい
私は、立ち止まるしかありませんでした。
家族もいない。
元気も、お金も、夢もない。
何もやる気にならない。
何やってもダメなのかな。
私って、なんて無価値なんだろう。
生きている意味が見出せず
不安と劣等感でいっぱいでした。
III. 植物に出逢う
気付けば私は日々
救いを求めるように
野を歩くようになっていました。
そして私はそこで
自然のおもしろさに気づき始めます。
例えば、
・七草は、実は身近で摘めること
・野いちごや野生のブドウがあること
・お茶になる植物が生えていること...
「食べ物って、買わなくても生えてるんだ!」
という食いしん坊な衝撃から始まり(笑)
・嫌われ者のどくだみが美しい花をつけることや
・早朝にだけ出逢えるツユクサの美しさ
・夜に咲く、小待宵草の花など‥
だんだんと、
自然の美しさにも
目が向くようになりました。
初夏の甘夏の花の香り、
梅雨の海辺のハマゴウの香り、
真夏の金銀花の香りなど...
季節折々の
植物たちの香りにも、
たくさん心を癒してもらいました。
最初は名前も知らなかった植物たちも
幼い頃の記憶を頼りに見つけた
”よもぎ”を皮切りに
ひとつ、またひとつと
その名を覚えていきました。
気づけばわたしは、
植物に夢中でした。
カレンダーでしか意識していなかった
季節の移ろいを、
目の前で
みずみずしく
命豊かに見せてもらう毎日。
人間がなにもしなくても
一瞬として、同じ時が存在しない
移ろい、巡り、循環し続ける大自然。
もっともっと、知りたい。
もっともっと、植物に、近づきたい。
こうして私は再び、植物に出逢ったのです。
でも当時は
今ほど野草が注目されておらず
野草茶を作る人もおらず
勉強できる機会はとても貴重でした。
なので
月桃に会いたい!と思えば沖縄に飛び
白樺に会いたい!と思えば北海道に飛び
黒文字に会いたい!と思えば岐阜に飛ぶ。
日本全国色々なところに赴いては
少しずつ様々な植物を学んでいきました。
(2017年、飛騨にて、黒文字と)
(2018年、沖縄にて、琉球植物たちと)
どちらかというと
色々な趣味を転々としていた私ですが
植物は、不思議と興味が尽きず
夢中になって学びを重ねました。
どの世界でも同じだと思うのですが
学びは本当に尽きることがなく
毎日が新しい発見で溢れています。
(もちろん今も!)
IV. 予想外のギフト
植物のことを知る。
それは、私にとって喜びそのものでした。
けれど──
その学びの先にはさらに
思いがけない贈りものが待っていたのです。
それは
学べば学ぶほど
植物に限らず、あらゆる命が
美しくて、愛おしくて
たまらなくなったこと。
そして今、自分が
こんなにも瑞々しく
見事な星に生きていることに
喜びが溢れるようになっていったことでした。
気づいていなかっただけで
私はこんなにも色鮮やかな世界に
生まれていたのかー、と。
「食べられる野草」や
「香りのある草木」には
もちろん心躍るのですが...
いつしか私の心は
“役に立つかどうか”を超えて
ただそこに在る
すべての植物、すべての命の尊敬へと、
広がっていったのです。
V. その先に。
やがてその気持ちは
自分自身へも向かうようになりました。
植物も、自分も、
同じ大きないのちの一部だと
思えるようになっていたからです。
植物を愛するうちに、
少しずつ、少しずつ
わたしの中で
「どんな自分も受け入れられる」気持ちが
芽生えていきました。
きっとそれは、
“ありのままの植物”を見て
美しいと感じるまなざしが
“ありのままのわたし”を見て
愛おしいと思うまなざしと
同じものだったから。
気づけば私は、
植物に出会ったことで
世界の見え方も、生き方までも
大きく変わっていました。
VI. 次なる願い
やがて私は
植物から受け取ったものを
自分ひとりではなく、今度はみなさんと、
"お茶とは違う形で共有したい"
と心から願うようになりました。
以前から
薬草リトリートや、糸島薬草散策
野草や樹液からコスメを作る講座などを
主催してきましたが
もう少し、深く
もう少し、長い時間をかけ
ゆっくりと、植物と心を結んでいくような・・・
そんな時間を育みたいー
単に植物を使いこなす、というだけではなく
見える世界が変わるような、
すべての植物が愛おしくなるような感覚を
共有してみたいー。
その気持ちが徐々に、
でも確実に大きくなっているのを感じました。
(photo by Nonoko Kameyama, 外の音、内の香)
時を同じくして
下の子の保育園入園が決まりました。
自然遊びいっぱいの、素晴らしい園です。
ここ数年は、コロナ禍からの
2回の妊娠と出産で
大きな動きは控えていましたが
そろそろまた動き出すタイミングだと
感じました。
(photo by Neutralworks)
大きな波のように
そのアイディアはやってきて
やがてひとつの形となりました。
‐ suu ‐の新しいはじまり、
それは‥
植物と繋がる、春夏秋冬のガイドプログラム。
その名も、植物と心を結ぶ一年の旅...!
(〈植物と心を結ぶ一年の旅〉へ続く)