薬草コラム — 言葉綴り
#oneness
あなたは、わたしわたしは、あなたほんとうは、全部繋がっていてすべては、内なる宇宙の映し鏡
グラスの中に、森がすっぽりと入りました。糸島の山の中、その場で摘み取ったよもぎと、清流の水とで、カメラマンの亀山ののこさんと共に撮影した一枚。とても気に入っている、うつくしい写真です。ののこさん、ありがとう!さてこちら...インスタでアップしましたが、少し加筆。こういうことを書くと、いわゆるスピリチュアルと思われそうですが、わたしは結構、この世の中のすべてのことや理って物理の法則だと思っています。(すごくシンプルに、目に見えるものと同じくらい、目に見えにくい心や温度を大切にして生きているだけです。みんなだって、「気があう」とか、「嫌な予感がする」とか、「視線を感じる」とか、「気合いをいれる」とか、「元気」とか、使うし、感じるでしょ?それと一緒です)わたしたちも、生きとしいけるすべてのものも、無機物も、どんな物質も、元をたどれば全て分子、原子でできています。原子を分解したら、素粒子。素粒子を分解したら...?それは、質量をもった、エネルギー。質量のような性質を持った、波となります。(物理屋じゃないので、厳密には違うかもしれませんが、ざっくりとそんな感じのはず、悪しからず) つまり...・わたし、あなた・あなた、わたし・わたし、このパソコン・このパソコン、机・この机と、上に置いてあるコーヒーこういうのも全部、別々にみえて、実は全く同じものからできていてしかも、それを構成するのは別々の粒ではなくて、波、エネルギーということ。そして本来”同じ”であるそれらを、別々のもの、として認識しているのは左脳の仕業。なので、右脳だけが働いた状態になるとすべての境界線が消滅するように感じるそうです。(自身の左脳の脳卒中の経験からそれを体感した、ハーバードの脳科学者でもあるジル・ボルト・テイラー博士のTedトークがとても面白いのでおすすめ。)何を言いたいかというと、一見別々に見えているすべてものも実は全部同じもので構成されていて、その構成しているものは、波長をもったエネルギーであるということ。そして一見確かに思える物質の境界線も、例えばあなたとわたしの境界線も、実は左脳の認識によるもので、別々に存在しているように見えても、大きな括りでは”ひとつ”であり、互いに波として影響しあいながら存在しているということ。時に共鳴し、増幅し、時に打ち消しあいながら... ピアノを弾いている時、ある音だけに共鳴した窓ガラスが震えるように。-だからこそ、わたしは、目に見える表現形よりも、目に見えてこないけれど発しているエネルギーのほうが大切で、かつ、影響を与えると思っています。「何をするか」ではなくて、「どんな気持ち=自分の波長」でするか。「何を言うか」ではなくて、「どんなエネルギーを乗せて」話すかー。そして「わたし」の状態が「あなた」へ大きく影響するのを知っているから自分を愛し、「あなた」の幸せを望むからこそ「わたし」を幸せな波長で満たす努力をしています。そして「わたし」とは実は境界線のない大きな”ひとつ”の一部にしかすぎず、「わたし」の在りようがその”ひとつ”を作り出しているのだ、と。-だからこそ、今日もまた、あなたは幸せであってください。わたしも、日々その努力をしています。(ただただ、幸せであればいいのに、それがなぜか難しい、人間て面白いですよね) 人のために、と身を粉にせず、目に見えるものだけを追いかけて消耗せず、自らを幸せでいっぱいにしてください、だって、それが”すべて”の、世界の、幸せに繋がるから^^(ついでに巡り巡ってわたしの幸せにもなりますので、何卒よろしく!)--最後に、アインシュタインが愛娘に綴った言葉を。現段階では、科学がその正式な説明を発見していない、ある極めて強力な力がある。それは他のすべてを含み、かつ支配する力であり、宇宙で作用しているどんな現象の背後にも存在し、しかも私たちによってまだ特定されていない。この宇宙的な力は「愛」だ。科学者が宇宙の統一理論を予期したとき、彼らはこの最も強力な見知らぬ力を忘れた。愛は光だ。それは愛を与え、かつ受け取る者を啓発する。愛は引力だ。なぜなら、ある人々が別の人々に惹きつけられるようにするからだ。愛は力だ。なぜなら、それは私たちが持つ最善のものを増殖させ、人類が盲目の身勝手さの中で絶滅するのを許さないからだ。愛は展開し、開示する。愛のために私たちは生き、また死ぬ。愛は神であり、神は愛だ。この力はあらゆるものを説明し、生命に意味を与える。これこそが、私たちがあまりにも長く無視してきた変数だ。それは恐らく、愛こそが人間が意志で駆動することを学んでいない宇宙の中の唯一のエネルギーであるため、私たちが愛を恐れているからだろう。愛に視認性を与えるため、私は自分の最も有名な方程式で単純な代用品を作った。「E=mc²」の代わりに、私たちは次のことを承認する。世界を癒すエネルギーは、光速の2乗で増殖する愛によって獲得することができ、愛には限界がないため、愛こそが存在する最大の力であるという結論に至った、と。私たちを裏切る結果に終わった宇宙の他の諸力の利用と制御に人類が失敗した今、私たちが他の種類のエネルギーで自分たちを養うのは急を要する。もし私たちが自分たちの種の存続を望むなら、もし私たちが生命の意味を発見するつもりなら、もし私たちがこの世界とそこに居住するすべての知覚存在を救いたいのなら、愛こそが唯一のその答えだ。恐らく私たちにはまだ、この惑星を荒廃させる憎しみと身勝手さと貪欲を完全に破壊できる強力な装置、愛の爆弾を作る準備はできていない。しかし、それぞれの個人は自分の中に小さな、しかし強力な愛の発電機を持っており、そのエネルギーは解放されるのを待っている。私たちがこの宇宙的エネルギーを与え、かつ受け取ることを学ぶとき、愛しいリーゼル、私たちは、愛がすべてに打ち勝ち、愛には何もかもすべてを超越する能力があることを確信しているだろう。なぜなら、愛こそが生命の神髄だからだ。私は自分のハートの中にあるものを表現できなかったことを深く悔やんでおり、それが私の全人生を静かに打ちのめしてきた。恐らく謝罪するには遅すぎるが、時間は相対的なのだから、私がお前を愛しており、お前のお陰で私が究極の答えに到達したことを、お前に告げる必要があるのだ。お前の父 アルベルト・アインシュタインwith much love and care,ブレンド野草茶 - suu -/薬草ハーバリストMiho
秋の、はじまり
9月になりました。夏の間の日差しはただ大地を焦がしただけではなく太陽の下で外へ外へと葉を伸ばした植物たちの触れることのできる、確かな実りとなっていました。いま、野山は、秋を迎えようとしています。
みなさんはどんな夏を過ごしましたか?暑さは、いろいろな感覚を少し緩めます。喜びや、楽しさは、解き放たれるように広がります。と同時に、悲しさや冷えは、その陰に隠れ、鈍化し、少し気づきにくい時だったかもしれません。
秋になると、夏に感じていたこと、夏に自分のからだにしてきたことが、それがまるで実るかのように表に姿をあらわしはじめるから、不思議です。どうぞみなさま、ご養生ください。土のもの、生姜などのからだをあたためるもので、夏の疲れを癒しながら、外へ外へと広がっていた意識をぐっと内へと戻して参りましょう。葡萄蔓(エビヅル)、木通(アケビ)、郁子(ムベ)、野茨(ノイバラ)、石榴(ざくろ)、 野葡萄(ノブドウ)、イヌビワなど…
(四年目にして初めて、たった一つ実をつけた我が家のざくろ。)
太陽のちからを、ぎゅっとあつめた、愛おしい実りたちが野山の緑の中にちらり、ほらり。・・・色づく頃には、どんな秋の薬草仕事をしましょうか。変わっていく風の香りのなかに過ぎ去る夏への名残惜しさを感じながら来たる次の季節の恵みに、出逢いに、想いを馳せます。
覆うように咲く、仙人草の花。
無花果の原種、イヌビワ。雄木なので実は硬く小さい。美味しい雌木をみつけてね。
ごくわずがですが、満月と新月のよもぎ茶を再販しました。今がその流れ、今がその時、という方のもとへお届けできますように。秋のイベントのお知らせも、少しずつしていきますね。
魚座の満月
数日前は、魚座の満月。引き込まれるようなパワフルな月光に見惚れ、ため息をつき、私は何度も何度も、飽きることなく夜空を見上げていました。
満月の瞬間、夜9時ごろには、一番ちかい小さなビーチへと車をはしらせ大好きなジャズを聴きながら月のよもぎ茶をゆっくりと飲みながら月明かりの照らす海で時間を過ごしました。波は満潮時には本当にすごい力で海を踊らせていて。わずか数センチ、浜辺で打ち寄せる海の水に足をふれていただけなのに、まるで何かが、頭のさきからぐいぐいと持っていかれるようでした。- 私たちの体の60%は水分。海という壮大な水ですら、天体によってこんなにも揺り動かされる。ならばこんなにもちっぽけな私たちだって、普段意識できていないだけで本当はとてもとても影響を受けているのだと思います。気持ちも、からだも、意識も、とても。揺れ動くのは嫌いですか?波があることは、嫌でしょうか?いつもベストコンディションで、バリバリと目の前のやることをこなせる、そんな人でありたいでしょうか。揺れ動くのも、波があるのも、天体レベルで、自然なことだとしても…?^^そう思うと、わたしは少し、自分の揺れを許し、受け止めてあげられます。あの夜は、ふと浜辺に目をやると、、夜を待ちかねていた小待宵草が一面に花開いていてまるで足元にも一面の満月が咲いているようでした。そろそろ、あさの温かいお茶が、よる寝る前の一杯が、こころにもからだにも沁みる季節になりました。のんびり、揺れながらたまには、一息つきながらいっしょに、ゆっくり、参りましょう。
翌日の大潮のサンセット。